これから次代を担う人達に是非見て頂きたい。
2006年8月19日日本国内にはまだA級戦犯を靖国から分祀すべきという発言を行っている者たちが数多くいる。
では問いたい、A級戦犯とは何か?
多くの者は「東京裁判において、1番罪の重い判決を受けた被告」
という解釈をしている人間が多いであろう。
もしそのような解釈をしている人間がいるとしたら、それは歴史の無知に他ならない。
まずA・B・Cという区分は罪の重さをランク付けしたものではないということを知ってもらいたい。
A級戦犯の7人の人間は死刑になっているがBC級でも1061人の人間が死刑になっている。
簡単に言うとA級戦犯は国家指導者をB級戦犯は指揮官をC級戦犯は実行した兵隊を指す連合国の便宜上の分類に過ぎない。
そもそも今日では東京裁判の無効性がどこかしこで証明されているのだからA級戦犯の分祀がどうとかそういう議論をすること自体が本来ならばあまり意味の無いものだろう。
それでも今このセパがこういった文章を書き記しているのは国を護って死んでいった英霊達の魂があまりにも救われないからである。
もしA級戦犯の人間があまりにも悪徳に満ちた人間達であるならばセパもA級戦犯の人間を弁護する立場にいないだろう。
今この世で彼たちが罵られるに際し彼らの功績が大きすぎることを考えて頂きたい。
東条英機は自分の罪に対して一切弁明せず、天皇陛下と御国の為に死んだ。
その他の英霊も米帝の侵略から身を守る為に自衛の戦争をして、自分達の死をもってアジアに平和をもたらしたのである。
(事実、太平洋戦争序盤の日本軍の快進撃によって白人万能説が崩壊した後は、アフリカや東南アジア諸国が急激に独立への道を目指していった。)
残念ながら太平洋戦争の首謀者であるルーズベルトは中国に甘い幻想を抱き、間接的に中国共産党の成長を助けてしまったので、米ソの
冷戦、ベトナム戦争、キューバ危機を招いた張本人にほかならない。
この出来事によって日本が目指した真の平和は永久に訪れることは無くなった。
もしアメリカが中国に対して妙な妄想を抱かず、人種平等案を世界で始めて提案した日本に対して、ハルノートのような強硬な降伏案を提示せず譲歩に応じていたならば、その後の大きな戦乱に世界は巻き込まれることは無かったであろう。
アメリカは世界を滅ぼしかけたのだ。
アメリカが60年前にやったことは世の中の大体の人は許したり、忘れているだろう。私は60年前の戦争に参加している人間ではないので、アメリカに罪を問う権利は持っていないだろう。
だが私は忘れない、米帝の過ちを。
そして、戦争を通して御国を守った、我々の先祖に対して心からの敬意を表したい。
・
・
・
・
平和を望む声をあげるセパでした。
ぶっちゃけ世の中は危険な人物が多すぎるので、世界が平和になることはこの世の終わりまで無いでしょう。
もしあるとすればそれはこの世の終わりかな。
最後に東京裁判の無効と被告人全員無罪を主張した、インド最強判事ラダ・ビノード・パール博士の言葉をもってこの文章を締めくくりたい。
原爆慰霊碑には以下の文章が書き記されている。
「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから。」
この碑文の意味を知ったパール判事の顔は次第に険しくなった。
この「過ちは繰り返しませぬ」という過ちは誰の行為を指しているのか。
勿論、日本人が日本人に謝っていることは明らかだ。
それがどんな過ちなのか。私はそれを疑う。
ここに祀ってあるのは原爆犠牲者の霊であり、その原爆を落とした者は日本人でない事は明瞭である。
落としたものが責任の所在を明らかにして「二度と再びこの過ちを犯さぬ」というなら肯ける。
この過ちが、もし太平洋戦争を意味していると言うなら、これまた日本の責任ではない。
その戦争の種は西欧諸国が東洋侵略のためまいたものであることも明瞭だ。
さらにアメリカはABCD包囲陣をつくり、日本を経済的に封鎖し、石油禁輸までおこなって挑発した上、ハルノートを突きつけてきた。
アメリカこそ開戦の責任者である
東京裁判で何もかも悪かったとする戦時宣伝のデマゴーグがこれほどまでに日本人の魂を奪ってしまったとは思わなかった。
東京裁判の影響は原子爆弾の影響よりも甚大だ。
だれもが藤堂志摩子のように他人を思いやった発言ばかりできる訳ではない。
だれもが岡崎渚のようにだんご大家族になれる訳ではない。
だれもが水瀬秋子のように「いってらっしゃい」と他人に涙をながしてあげられる訳ではない。
だれもがジョナサン・ジョースターのように男気を持っている訳でもない。
それでもセパは先祖が残してくれたこの肥沃な大地を守るために、自分のやれる事をやれる範囲で頑張っていきたい。
蛇足ですけど秋子さんの「いってらっしゃい」はガチ!
では問いたい、A級戦犯とは何か?
多くの者は「東京裁判において、1番罪の重い判決を受けた被告」
という解釈をしている人間が多いであろう。
もしそのような解釈をしている人間がいるとしたら、それは歴史の無知に他ならない。
まずA・B・Cという区分は罪の重さをランク付けしたものではないということを知ってもらいたい。
A級戦犯の7人の人間は死刑になっているがBC級でも1061人の人間が死刑になっている。
簡単に言うとA級戦犯は国家指導者をB級戦犯は指揮官をC級戦犯は実行した兵隊を指す連合国の便宜上の分類に過ぎない。
そもそも今日では東京裁判の無効性がどこかしこで証明されているのだからA級戦犯の分祀がどうとかそういう議論をすること自体が本来ならばあまり意味の無いものだろう。
それでも今このセパがこういった文章を書き記しているのは国を護って死んでいった英霊達の魂があまりにも救われないからである。
もしA級戦犯の人間があまりにも悪徳に満ちた人間達であるならばセパもA級戦犯の人間を弁護する立場にいないだろう。
今この世で彼たちが罵られるに際し彼らの功績が大きすぎることを考えて頂きたい。
東条英機は自分の罪に対して一切弁明せず、天皇陛下と御国の為に死んだ。
その他の英霊も米帝の侵略から身を守る為に自衛の戦争をして、自分達の死をもってアジアに平和をもたらしたのである。
(事実、太平洋戦争序盤の日本軍の快進撃によって白人万能説が崩壊した後は、アフリカや東南アジア諸国が急激に独立への道を目指していった。)
残念ながら太平洋戦争の首謀者であるルーズベルトは中国に甘い幻想を抱き、間接的に中国共産党の成長を助けてしまったので、米ソの
冷戦、ベトナム戦争、キューバ危機を招いた張本人にほかならない。
この出来事によって日本が目指した真の平和は永久に訪れることは無くなった。
もしアメリカが中国に対して妙な妄想を抱かず、人種平等案を世界で始めて提案した日本に対して、ハルノートのような強硬な降伏案を提示せず譲歩に応じていたならば、その後の大きな戦乱に世界は巻き込まれることは無かったであろう。
アメリカは世界を滅ぼしかけたのだ。
アメリカが60年前にやったことは世の中の大体の人は許したり、忘れているだろう。私は60年前の戦争に参加している人間ではないので、アメリカに罪を問う権利は持っていないだろう。
だが私は忘れない、米帝の過ちを。
そして、戦争を通して御国を守った、我々の先祖に対して心からの敬意を表したい。
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平和を望む声をあげるセパでした。
ぶっちゃけ世の中は危険な人物が多すぎるので、世界が平和になることはこの世の終わりまで無いでしょう。
もしあるとすればそれはこの世の終わりかな。
最後に東京裁判の無効と被告人全員無罪を主張した、インド最強判事ラダ・ビノード・パール博士の言葉をもってこの文章を締めくくりたい。
原爆慰霊碑には以下の文章が書き記されている。
「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから。」
この碑文の意味を知ったパール判事の顔は次第に険しくなった。
この「過ちは繰り返しませぬ」という過ちは誰の行為を指しているのか。
勿論、日本人が日本人に謝っていることは明らかだ。
それがどんな過ちなのか。私はそれを疑う。
ここに祀ってあるのは原爆犠牲者の霊であり、その原爆を落とした者は日本人でない事は明瞭である。
落としたものが責任の所在を明らかにして「二度と再びこの過ちを犯さぬ」というなら肯ける。
この過ちが、もし太平洋戦争を意味していると言うなら、これまた日本の責任ではない。
その戦争の種は西欧諸国が東洋侵略のためまいたものであることも明瞭だ。
さらにアメリカはABCD包囲陣をつくり、日本を経済的に封鎖し、石油禁輸までおこなって挑発した上、ハルノートを突きつけてきた。
アメリカこそ開戦の責任者である
東京裁判で何もかも悪かったとする戦時宣伝のデマゴーグがこれほどまでに日本人の魂を奪ってしまったとは思わなかった。
東京裁判の影響は原子爆弾の影響よりも甚大だ。
だれもが藤堂志摩子のように他人を思いやった発言ばかりできる訳ではない。
だれもが岡崎渚のようにだんご大家族になれる訳ではない。
だれもが水瀬秋子のように「いってらっしゃい」と他人に涙をながしてあげられる訳ではない。
だれもがジョナサン・ジョースターのように男気を持っている訳でもない。
それでもセパは先祖が残してくれたこの肥沃な大地を守るために、自分のやれる事をやれる範囲で頑張っていきたい。
蛇足ですけど秋子さんの「いってらっしゃい」はガチ!
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